摩崖仏にはしばしば円相が表現されます。円相とは一体何なのでしょうか?
円相の多くは、月輪(がちりん)を表していると考えられます。月輪とは、密教の「月輪観」に基づくものです。「月輪観」は、心の中に満月を観じ、その満月が宇宙全体を満たすようにイメージして、世界との一体感と心の清浄を観ずる基本的な観想法(イメージトレーニング)であり、例えばそこから月輪の中に梵字の阿字をイメージする「阿字観」といった観想法へと発展していく土台となるものです。
現代の月輪観の実践でも、心の中に月輪(満月)を描くだけでなく、目の前に「月輪観本尊」と呼ばれる円相を描いた掛け軸などが掛けられます。円相の多くは、おそらくは月輪観本尊として利用されたのではないかと思われ、特に月輪の中に梵字が彫られている場合は、阿字観など発展的観想法に利用されたと考えられます。
しかし、摩崖円相の全てが月輪、つまり満月と考えるのは早計です。例えば、浄土教が普及して阿弥陀如来への信仰が高まると、西に沈む夕日を阿弥陀如来に見立てて拝み、日没後も夕日をイメージする「日想観」という観想法が行われました。月と違って太陽は常に丸く、晴れてさえいれば日没が拝めるので、わざわざ石に円相を刻んで「日想観」を修したかわかりませんが、円相を太陽に見なす考え方もあったのは事実です。
ちなみに阿弥陀如来は、西域(中央アジア)の強い影響の下で生まれた仏であると考えられますが、中央アジアで行われていた太陽崇拝が取り入れられており、「光の仏」というべき存在です。阿弥陀如来は梵名をアミターバといい、これは量りしれない光を持つ者という意味で「無量光仏」とも呼ばれます。この他、同じく中央アジアの影響が強い大日如来は太陽の神格化であり、大日遍照とも呼ばれます。これらは仏教の中でも太陽信仰の性格を持つものといえるでしょう。
このように、仏教には月と太陽への信仰が目立たない形で包含されていました。円相は月であり太陽であったのです。
そもそも、仏教がインドに誕生した時も、信仰の視角化は円相から始まると言っても過言ではありません。最初期の仏教美術では、ブッダは具象的に表現されず、法輪や円光、すなわち円相によって表されました。やがて円光は光背となって仏像のシンボルになります。
また、禅宗でも円相は重視されました。禅宗でも円相を月輪と見ましたが、禅宗の場合は円相の前で月輪観を修するというよりは、円相自体を真理・完全な心の象徴と見なしていました。禅僧たちは水墨画で円相を描き、円相を問答の題材に使いました。禅の修行を牧童が牛を捕らえるのに譬えて十場面に描いた「十牛図」が円相に描かれているのはよく知られています。
そして、円相は鏡を表す場合もありました。日本では仏教以前から円鏡(銅鏡)を太陽に見立てて神聖なものと見なしていましたから、この考えが仏教の円相と習合していったのかもしれません。こうして日本仏教では「大円鏡智」という考え方も生まれます。これは大きな円い鏡に一切がありのままに映し出されるように、全てを明らかにする清浄な仏智を表します。仏の智慧を鏡で象徴しているわけです。
摩崖円相も、これら様々な円相の考えに基づいていると考えられます。例えば福昌寺跡に残る「鏡月巌」は、福昌寺が禅宗(曹洞宗)であることを考えると、これは月輪観を修したのではなく、「大円鏡智」の考え方で、仏の完全な智慧を表したものだったのかもしれません。
【参考文献】
上田閑照・柳田聖山『十牛図』
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