梅ヶ渕観音は、鹿児島市伊敷町にあります。
観音菩薩は、仏の中でも特に現世利益の性格が強い存在です。観音の功徳は『法華経』の「観世音菩薩普門品第二十五」(いわゆる『観音経』)に詳しく書かれています。
それによると、観音はその名前を唱えるだけで七難を免れるように救ってくれるそうです。例えば川で溺れた時に「観音菩薩ー!」と名前を唱えると浅瀬を準備してくれるのだとか。火事になった時にも、その名前を唱えれば火の中から抜け出せるといいます。どうやら観音菩薩は、かなり即物的な救いを提供してくれるようです。
それだけではありません。『観音経』には、観音菩薩が救ってくれるシチュエーションが列挙されています。処刑されようとしているときに、その名前を唱えると死刑執行人の刀の刃が折れてしまうとか、盗賊に襲われた時には逃げられるようになるとか、さらには罪があって枷(かせ)や鎖で捕らわれている時も、そこから抜け出せるための隙間を用意してくれるとか述べています。罪がない時に逃げられるならわかりますが、罪があってもその罰を逃れられるようにしてくれるというのは随分都合のよい功徳です。
もちろんこういう現金な願いだけではなく、怒りを離れられる、迷妄を取り除いてくれるという内面的な功徳もあります。
そして、そういった多様な願いを叶えるために、観音菩薩は様々な姿に変化するのだと考えられました。『観音経』では、観音は仏にもなり梵天(神)にもなり、長者にもなり修行者にもなり、童男・童女や竜や阿修羅(悪魔)にもなって、その場その場でその人を救うのに一番適した姿になるのだと書かれています。数えてみるとそこには35の姿が述べられています。これがいわゆる「観音の三十三身(三十三応現身)」です。
『法華経』では観音が変化(へんげ)するのは35の姿なのですが(サンスクリット語原典だと16)、これがいつのまにか33に定型化していきました。どうやら古代インドの世界観で忉利天(とうりてん)といって世界を33の「天」に分ける考えがあるのですが、「三十三身」はそれに影響を受けて整理された数のようです。
また、「観音の三十三身」はどういうわけか、33種類の観音菩薩がいる、ということに意味が転化し日本では「三十三観音」が考案されました。「三十三観音」とは、楊柳観音、龍頭観音、持経観音など、いろいろなタイプの33種類の観音菩薩です。中でもハマグリの中におわす「ハマグリ観音」こと蛤蜊(こうり)観音、大きな魚の上に乗っている姿の魚籃(ぎょらん)観音などが変わり種です。ちなみにこの33種類には、聖観音や千手観音、馬頭観音といったよく見る観音はなぜか含まれておらず、どれもこれもあまり聞かないような観音様ばかりです。さらに、『観音経』で述べられたシチュエーションに対応しているわけでもありません。ちなみにメジャーな観音は「六観音」と呼ばれており、聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音の六つを指します。
さらに、「観音の三十三身」や「三十三観音」から刺激を受けて、33箇所の観音の霊場を巡る「三十三観音巡り」が行われるようになりました。ややこしいのは「三十三観音巡り」では、「三十三観音」(先ほど述べた33種類の観音菩薩)を巡るのではないということです。だから全国にいろいろな「三十三観音巡り」のコースがありますが、その33箇所の霊場に祀られているのは六観音が多く、蛤蜊観音のような変わり種がそこに含まれていることはほとんどありません(おそらく皆無)。「三十三観音巡り」なのに「三十三観音」は見られないというのが混乱します。観音はいろいろなことが33に関連づけられた結果、とてもややこしくなってしまいました。
ところで全体的に観音菩薩は水との関係が深く、一説にはペルシア神話のアナーヒターという川や水を司る神が観音菩薩の起源の一つだとされています。実際、「三十三観音」でも水に関係したものが多く見られます。
さて、梅ヶ渕観音は、どのような観音様なのでしょうか? 「三十三観音」の中の一つのような気はしますが、これという決め手はありません。そもそも観音菩薩なのかどうかすら確証はありません。下方に流れていく衣紋はどことなく水の流れを連想させ、観音であるような雰囲気は感じますが…。鹿児島では知らない人が少ない有名な観音は、謎の観音様でもあるのです。
【参考文献】
中村 元『法華経(現代語訳 大乗仏典2)』
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