薩摩川内市の長崎堤防の近くには、「心」とだけ刻まれた磨崖仏があります。これには一体どのような意味があるのでしょうか? そしてこれを磨崖仏と認めてよいものでしょうか?
この磨崖仏は、長崎堤防の築造責任者である小野仙右衛門が、堤防が完成する前年(貞享3年(1686))に堤防の完成を期して作ったものです。この年、彼の娘が洪水で亡くなっており、その供養の意味も兼ねていたのかもしれません。なおそのことは、やがて娘が人柱になったという伝説(袈裟姫伝説)となっていったようです。
しかしそれにしても「心」と刻むことにどのような宗教的な意味があったのでしょうか。実は江戸時代には「心」と刻まれた墓塔が非常に多く見られます。それまで梵字が刻まれていた部分が「心」に置き換わっているのです。この「心」は何を表しているのでしょうか。
結論を先に言えば、やはりこの「心」も梵字と同じように仏を表しているのではないかと思います。というのは、特に禅宗において「心こそが仏である」という観念が発達していったからです。
非常に大きな影響力を持った大乗仏教の論書に『大乗起信論』という本があります。これは一応インドで撰述されたものの翻訳(中国語訳)という形態を取っていますが、6世紀に中国でまとめられたものと考えられています。
『大乗起信論』の要諦は「如来蔵思想」です。これは、人は誰でも如来になることができる本質を内在している、という思想です。その本質は「衆生心(一心)」であるとされており、心のあるがままの真実の世界(真如)こそが悟りの境地であるとしています。
ところで、中国のインテリは古代から無神論的でした。既に紀元前の諸子百家の時代において、鬼神の実在はほとんど信じられていません。一方で大乗仏教には夥しい数の仏・菩薩が存在し、その功徳が主張されました。おそらく、そうした話は中国のインテリにとって迷信的なものに感じられたことでしょう。そこで、仏というのは歴史的実体やましてや超自然的存在ではなく、「心の在り方」そのものなのだという観念論によって、中国で大乗仏教が合理的に再解釈されていきます。
禅宗では心の在り方を重視する観念論がさらに確立します。唐時代の初期禅思想の完成として位置づけられる『伝心法要』(黄檗希運の講義録)では、その冒頭で直接的に「あらゆる仏と、一切の人間とは、ただこの一心にほかならぬ。そのほかのなんらかのものはまったくない(諸仏と一切衆生と唯是れ一心にして、更に別法なし)」と表現されています。そして随所に「この心こそが仏にほかならない(此心即ち是れ仏)」と繰り返されます。
日本でも北条顕時が『伝心法要』を愛読し、弘安6年(1283)に来朝僧大休正念に命じて出版させており、これは日本での禅籍流布のはじめとされています。本書は江戸時代の後半になると影響力を失ったようですが、それまでたびたび刊行されました。
「心即是仏」を素直に受け取れば、仏ではなく心を供養し礼拝するということが起こってもおかしくありません。中世においては、墓塔や磨崖仏に刻むものといえば梵字でしたが、そもそも梵字は仏を表す記号ですから、仏=心であればわざわざ梵字を仲介させる必要はないので、江戸時代にはこれが「心」に置き換わったのではないでしょうか。中世の特色である梵字から「心」への転換、その象徴的な実例が長崎堤防の「磨崖心」であるように思われます。
【参考文献】
柏木弘雄訳『大乗起信論』(筑摩世界古典文学全集『仏典II』所収)
宇井伯寿訳注『伝心法要』
入矢義高訳『黄檗伝心法要』(筑摩世界古典文学全集『禅家語録I』所収)
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