清水磨崖仏群:磨崖仏の勝地

清水磨崖仏(一部)

清水磨崖仏群を構成する202の磨崖仏のほとんどは、磨崖仏塔です。陽刻五輪塔が150基以上と最も多く、線刻宝篋印塔が30基あってそれに続きます。これらの著しい特徴は、多くが連刻であることで、五輪塔や宝篋印塔がいくつも連続している様子は、他ではあまり見られないものだと思います。特に線刻宝篋印塔の連続(多連塔)は、他に例のないものと言われています。清水磨崖仏群で連刻が多い理由はよくわかりませんが、おそらくは個人というより夫婦や一族の供養塔という意識が強かったためではないかと考えられます。

どうして清水にこれほど大量の磨崖仏が造営されたのでしょうか。

その最大の理由は、ここに磨崖大五輪塔があったためでしょう。この大五輪塔は、清水磨崖仏群の中で最初に製作されたと考えられており、平安時代後期の製作と推定される、日本で一番大きな五輪塔の表現です。今は風化が進んでボロボロになっていますが、造営当時は平面に磨かれた壁面であったらしく、そこに深いシャープな線で8m65cmもの五輪塔が刻まれています。また五輪塔の周囲には大量の枡目状の彫り込みがあり、そこに一字ずつ梵字が墨書きされていました。ただしこの墨書き梵字のほとんどは風化によって失われています。

大五輪塔

この大五輪塔は、五輪塔として日本でも最古級のものと推測され、その巨大さはもちろん入念な細工が施されている様子を鑑みても、中央で仏教文化を身につけた人物が、かなりの財力を傾けて製作されたものであると考えられます。磨崖仏として非常に価値の高い遺品です。

そしてこの巨大かつ入念な大五輪塔によってこの地は勝地(聖地)と見なされ、供養塔や仏像などを刻むのに適した場所と考えられたに違いありません。そのために月輪大梵字などが造営されて、なお一層、勝地としての価値が上がり、鎌倉時代後期から多くの磨崖五輪塔・宝篋印塔の造営が続いたのでしょう。

しかしではなぜ大五輪塔は清水の地に製作されたのでしょうか。またこの地が磨崖仏の勝地と見なされた理由は大五輪塔の存在だけではないでしょう。ここには磨崖仏の造営に適したいくつかの理由があったのです。

第1に、磨崖仏に適した岩壁であることです。清水磨崖仏が存在する場所は、ほぼ垂直で10m以上も高さがある岩壁が続いています。それだけでも稀有なことですが、ここがさらに磨崖仏に適しているのは、岩壁が真っ平らではなく、屏風状に凹凸があることです。理由はよくわからないのですが、磨崖仏は屏風状になった岩壁に好んで造営されました。

第2に、水が豊富にあることです。磨崖仏と水はどうやら関係があるようで、河野忠による臼杵磨崖仏(大分県)の調査では、対象の50箇所の磨崖仏のうち、湧水または湧水跡がある磨崖仏が全体の94%に上ります。平安時代、水は浄土との境と考えられていました。例えば宇治の平等院鳳凰堂(蓮華王院)には池がありますが、これは浄土式庭園といって、浄土の様子を模すための池なのです。清水磨崖仏では、川の対岸から磨崖仏を見ると、水を境として西方に磨崖仏を見ることになるので、ちょうど西方浄土を拝む形になったのです。

第3に、太陽や月とも関係しているかもしれません。特に月輪大梵字については、川の対岸から磨崖仏を見た時の春分・秋分の日の入りと関係があるのではないかと考えている人もいます。密教には日想観や月想観といって、日没の太陽や満月を聖なるもの(特に阿弥陀如来)と見なして拝む修行がありました。こうした観想法を基盤として月輪大梵字が供養・礼拝されていたのかもしれません。

そして最後に、この地域に仏教文化の基盤があったということです。いくら地形的に磨崖仏に適した場所であっても、人里離れた山奥では作りっぱなしになります。供養塔はもちろんのこと、大五輪塔や月輪大梵字のようなものも継続的な供養や管理が必要だったことは疑いありません。そのためには、供養や管理の基盤となる寺院が必要ですし、人里から遠すぎる立地も好まれなかったでしょう。

川辺の清水周辺には、中世時代の領主だった河辺氏の居館があったとされ、また雲朝寺跡、宝光院跡などの古い寺院跡が残っています。近くの水元神社には薩摩塔という特殊な仏塔が残っており、これは万之瀬川を通じた大陸との交易と関係する地域だったからなのかもしれません。さらに近年の調査で、磨崖仏の対岸にある弁財天岡の頂上より古墳時代の遺跡(岩屋園遺跡)が発見されました。この地域は今でこそ田舎ですが、中世においては南薩の文化的中心であったと考えることもできそうです。

こうしたいくつかの理由から、清水には平安時代後期から明治時代という長い期間、磨崖仏が造営され続ける特異な場所になりました。清水磨崖仏は、磨崖仏としては初めて鹿児島県指定文化財になっており、将来に引き継いでいくべき重要な遺産です。

しかし古い磨崖仏は既に風化が激しく、保存には課題もあります。以前は磨崖仏の近くまで立ち入ることができましたが、岩壁の剥落の危険があるということで数年前から立ち入り禁止になりました。よい保存方法が適用され、また間近で見られるようになることを願っています。

【参考文献】
鹿児島県川辺町教育委員会『清水磨崖仏群—清水磨崖仏塔梵字群の研究』
知足美加子「月輪大梵字の秘密—空と水と英彦山修験道—」(講演資料2019.5.31)

★告知★2021年7月3日、報告会やります!    
↓    
鹿児島磨崖仏巡礼vol.3    
日時 2021年7月3日(土)18:00〜20:00    
会場 レトロフトMuseo (〒892-0821 鹿児島市名山町2-1 レトロフト千歳ビル2F)    
<鹿児島市電>朝日通り電停より徒歩2分    
※会場には駐車場がありません。   
↓詳細はこちら   
http://nansatz.wp.xdomain.jp/archives/137    

要申込:定員15名 ←感染症予防のため定員を減らしています。   
参加料:1000円    
申込方法:↓こちらのフォームより申し込み下さい。定員に達し次第受付を終了します。
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