「鹿児島磨崖仏巡礼vol.5 —岩石信仰と磨崖仏」、吉川宗明さんを招いて盛大に開催!

12月18日(日)、「鹿児島磨崖仏巡礼vol.5 —岩石信仰と磨崖仏」をレトロフトMuseoにて開催しました。

今回は、三重県から来ていただいた吉川宗明さんによる特別基調講演が目玉です。

が、それに先だって、私の方から鹿児島の磨崖仏の特徴について20分ほど講話しました。時代ごとの特徴、表現内容の特徴、立地の特徴などについて、今まで意外とまとめていなかった事項について語りました。

また、そうした区分に当てはまらないものとして、「荘厳(しょうごん)磨崖仏」という新しい概念を用いることを提案しました。「荘厳する」とは、仏教用語で「厳かに飾りつける」という意味です。自然の景観・岩を「荘厳する」ために作られたと思われる磨崖仏を「荘厳磨崖仏」と呼ぶことにしたいと思っています。

例えば、「内山田陰陽石の磨崖梵字」「野間岳磨崖仏」「下浜滝磨崖仏」といったものが「荘厳磨崖仏」です。これらは、磨崖仏がなくても人々がそこに神聖性を認めていたのは間違いありません。さらにそこに磨崖仏(梵字)を彫ったことで、その聖性を強調・見える化していると考えられます。

というか、自然のままの景観を信仰していた人にとっては、そこに磨崖仏を彫るのは余計な行為だと感じたかもしれません。しかし磨崖仏を彫った人は、「磨崖仏があることで、ここがもっと有り難い場所になった!」と思っていたのでしょう。場所の持つ神聖性をどう捉えるか、昔の人の考えも、当たり前ですが一枚岩ではありません。

……という話の後で、遂に吉川さんによる特別基調講演です。

吉川さんは日本の岩石信仰研究の第一人者ですので、我々も非常に期待しておりました。当初の予定では1時間10分ほどということでしたが、吉川さんのあふれ出るパッションによって1時間半を超える大講演になりました。すっごく面白かったです。

講演内容は「岩石信仰の歴史を、旧石器時代から現代まで」。壮大です!

吉川さんは岩石信仰を「岩石を用いた信仰全般」すなわち「岩石そのものを信仰すること + 岩石を利用して別の何かを信仰すること」と定義し、それを四象限に分けて通観しました。「人為 <-> 自然」「不動 <-> 可動」の二つの軸で分けた四象限です。内容が濃密すぎて、とてもじゃないですが内容をまとめられないので、印象的な部分のみ記します。

旧石器時代、石の加工がなされていたわけですが、それが信仰の表現としても行われたかどうかはわかりません。しかし「岩戸遺跡のこけし形岩偶」(B.C.25,000前後)に象徴されるように、明らかに「自然のままの岩石ではダメで、そこに人の手を加えたい」という心理があったことは間違いありません。

確実に岩石が信仰と結びついている最古の事例は、縄文時代の墓を伴う「配石遺構・集積遺構」です。少なくとも石が祭祀の道具に使われているわけです。そして人為的に石を並べているということもポイント。自然のままの場所で自然の石を信仰する、というのも先史時代からあったかもしれませんが、これは証拠がないのでわからない。今わかるのは、人為的に手が加えられたタイプの岩石信仰のみです。

自然石信仰の最古の事例と考えられるのは、「女夫(めおと)石遺跡(山梨県)」だそうです。ここでは、巨大な石に接するようにミニチュア土器が見つかりました。ミニチュア=実用性はない、ですからそこに何らかの象徴的な意味を込めていたことが確実です。

弥生時代の「楯築墳丘墓」は、古墳時代の古墳の原型となったものだそうですが、墳丘上に大きな立石、列石があるのが目を引きます。古墳を作ってるわけですからそれで十分迫力があるのに、そこにさらに巨大な石を配置したということになります。とんでもない労力。石に大きな意味を見出していたのは確実でしょう。

ちょっと時代が飛んで奈良時代には、最古の磨崖仏とされる「狛坂寺跡磨崖仏(滋賀県)」が登場。「自然の石をそのまま祀りたいというのとは違う心の動き」が現れました。石を一種のキャンバスと捉えたのか、それとも元から神聖視されていた石を加工したのか、ハッキリとしたことはわかりません。

奈良時代には「岩坐(いわくら)・石神・み像(かた)」といった、岩石信仰の概念群が『風土記』などに登場します。道教・仏教などの影響を受けながら、「岩石を神聖視するための枠組み」が出来ていきます。しかしこの枠組みがクセモノでした。現代の学者がそれっぽい石を「これはイワクラだ!」と断定することによって、古代人の信仰を捏造するようなことが行われていくからです。

なお平安時代に編纂された『延喜式神名帳』では、「いわくら」が名前に含まれる神社がたくさん掲載されています。その過半数が北陸であるのはどういう意味があるのでしょうか。謎です。

また時代が下ると、「坐禅石・足跡石・腰掛石」のように、ことさら特別ではないがそれなりに目立つ石に、それっぽい伝説を付加して名前を付ける事例が増えるのが注目されます。「頼朝が腰掛けた石」とかその類です。祭祀や信仰までには至らないですが、石に物語性が与えられるのが面白いです。

北部九州を中心に日本各地に残る「神籠石(こうごいし)」も似ています。それらは、民話・伝説などが付与されていますが形状は一定せず、信仰・祭祀があったかどうかもまちまちだそう。「神籠石」もあやふやな概念で、かえってそのあやふやさが面白い。

江戸時代になると岩石信仰に関係する遺物は厖大となります。「山の神・力石・庚申・要石・一字一石経・道祖神・陰陽石・石取祭」など全国各地に石を利用した祭祀が残ります。講演では言及がありませんでしたが、普通の人が「墓石」を立てるようになるのも江戸時代です。

私は講演を聞いて、「石に対する態度は、江戸時代あたりがターニングポイント」と感じました。江戸時代以前は石に対する畏怖が感じられるのに、江戸時代では石は単なる「石材」になっている感じです。このように感じたのは、吉川さんがしばしば「石に対して申し訳ない」といったことを口走っていたからでもあります。吉川さん自身は、石を神聖視しないように自らに課し、あくまでアカデミックで冷静な目で見ようとしている……と言っていましたが、実際には石に対する猛烈なパッションを感じました。この態度、江戸時代以降の人が失ったものでは……!?

たびたび「石がムキムキしている」と言っていたのも印象に残った点。石がゴツゴツと躍動的に隆起する様を表す擬態語のようです(笑)。この言葉自体が、石に対して内在的な力を仄めかすもののように思えます。吉川さん、アカデミックを装いつつも、めちゃめちゃ石に対して敬意を持ってます。

要するに吉川さんは、私たちと比べて石に対する敬意が桁違い。でもこれ、私たちだけのことではなく、江戸時代の人がすでに石に対する敬意ってあんまりないような気がします。一言で言えば、江戸時代には「石が身近」。個人の力で加工できるようになったことが大きな態度の変化をもたらしたのでしょうか。だから吉川さんの石に対する態度は、中世以前のそれに近いのかもしれない、と思いました。根拠は……ないですけどね(笑)

明治時代には伏見稲荷に個人で塚を作るブームがあったそうですが、これなんかも石に神聖性を感じていた…という気はしません。「塚」を作る材料として石を使ったと考えるのが普通でしょう。

講演では言及されませんでしたが、明治時代以降、招魂碑・記念碑・顕彰碑などが大きな自然石のものを中心に厖大に建立されます。特に鹿児島では日露戦争の戦没者碑が大きく立派なのが各市町村で作られていますが、こうしたものでは石は単なる石材に違いありません。しかし、ではなぜ自然石(四角く加工していない等)なのか、大きな石を用いずにはいられなかった心の動きは何なのか。近代人の心の動きもよくわかりません。

そして現代でも、岩石信仰は次々と生みだされています。工事の際に出てきた大きな石がしめ縄を張られて祀られた事例は興味深いです(茅野駅前の巨石(長野県))。こうした自然発生的なものだけでなく、いわゆる「創られた伝統」として、「ここは古代から信仰されていた場所に違いない」式に新たな石の聖地が生みだされるケースもたくさんあります。それこそ、先述したように研究者がそれに荷担した場合も多いのです。

吉川さんは、そうしたことを自らが行わないよう、極めてストイックな態度で石を見て、決して断定しないように慎重に語っていたのが印象的でした。我々のように面白半分で磨崖仏を見ている人間にはありえない態度です(笑)

そして吉川さんの講演の後、川田さんによる新発見磨崖仏の説明がありました。今回は「磨崖田の神」をフィーチャー。東川隆太郎さんから教えてもらったそうです。田の神=タノカンサアは、必ず石でつくられるのが不思議です。木像タノカンサアがあったら教えてください。それから絵もないですよね。例えば仏像だったら、石像も木像も絵もあるわけですが、タノカンサアは石でしか表現されない。なぜタンカンサアは石しかないのか。謎です。

こうして今回の「鹿児島磨崖仏巡礼」は終了しました。定員いっぱいのお申し込みがあり(しかも結構早く埋まりました)、当日は桜島がすっかり冠雪するという厳寒の中、熱心に聞いて下さった聴衆の皆さんにも感謝です。ありがとうございました!

例によって次回またやるかどうかは決まっていませんが、我々にとっても刺激をいただける機会になっていますので、また一年後くらいに開催したいと思っています。ではまた!!

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日本の岩石信仰をアカデミックに見直した名著です。どうぞお買い上げください(笑)

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