下丁場摩崖仏:連刻板碑

下丁場摩崖仏の板碑部分

下丁場磨崖仏は、さつま町永野にあります。

元来、「碑」とは中国的・儒教的なもので、「塔(卒塔婆=ストゥーパ)」とはインド的・仏教的なものです。板碑とは、碑という儒教的形式によって仏塔を表現した、日本オリジナルの仏教造形物です。その基本形は、上部が山型になった細長く薄い岩で、上部に横2条の切り込み線、その下に「額」または「額部」とよばれる出っ張りがあって(ただし時代が下ると出っ張りはなくなる)、その下に梵字が刻まれているというものです。

五輪塔や宝篋印塔、層塔、宝塔といった他の仏塔と板碑が全く違うところは、他の仏塔がその形態そのものに仏教的な意味があるのに対し、板碑の場合はその形態ではなく、あくまでも刻まれる内容に意味があるという点です。例えば他の仏塔の場合、造塔自体に功徳があると見なされたので、造立者、制作年(紀年銘)、目的などが全く刻まれていない場合も多いのです。ところが板碑の場合は、文字を刻むことに意味があったため、造立者などが刻まれていることが多く、文字情報が豊富に残っています。

もちろん板碑も仏塔ですから、主目的は主尊安置・崇拝で、最も大事なのは仏像の種子(しゅじ)としての梵字です。しかし仏像そのものを刻んでもよさそうなものなのに、梵字があしらわれているのがほとんどなのを考えると、板碑の製作者たちは、どうも形態や図像ではなく、文字によって表現することにこだわりがあったように思います。いうなれば、板碑は中世のタイポグラフィー(文字によるデザインの)仏塔なのです。

板碑の中心は関東、特に埼玉県です。板碑は全国に5万基以上ありますが、埼玉県にはそのうちの2万基ほどが存在しています。埼玉県秩父地方では、緑泥片岩(いわゆる青石)が豊富に採取でき、この石は薄く加工することが容易なために板碑製作に適していました。鎌倉時代、関東に集められた御家人たちは板碑の造立を行い、また全国の所領に分散していくことで板碑文化を伝えていったと言われます。板碑は他の仏塔よりも形がシンプルで製作が容易だったために庶民にも手が届くものだったらしく、鎌倉・室町時代には全国で造立され、特に南北朝時代には造立のピークを迎えました。しかしその後造立は急減し、江戸時代になると製作されなくなります。中世とともに勃興し、そして消えていったのが板碑だといえるでしょう。

ところで板碑には、いくつかの板碑が連続している「連碑」があります。例えば二連の板碑は、夫婦(父母)の供養によく使われました。一つの石に二つ分の板碑を刻むほか、別々の石で一対の板碑とするのも連碑としています。鹿児島の湧水町(栗野)にある稲葉崎供養塔群には、このような対となった立派な板碑が何組か存在しています。また、数は少ないですが三連の板碑も、おそらくは三尊形式との類似から製作されました。

しかし、四連以上の板碑は、普通の板碑では製作されず、磨崖板碑としてしか伝わっていないようです。板碑を四連以上にするのは構造的な無理があったのでしょう。一方、岩壁というのは横に広がっているものなので、磨崖板碑の場合は連続させる方がデザイン的な落ち着きがあったからだと思います。

ここでは、四連以上の磨崖板碑を仮に「連刻板碑」と呼ぶことにしましょう。連刻板碑は全国的に非常に少ないと思われます。鹿児島には、「下丁場摩崖仏」の他、16連の「清水磨崖仏群(南九州市川辺町)」、7連の「七人山磨崖連碑(さつま町湯田)」の三ヶ所のみのようです。他の地域では大分県に磨崖板碑が多いようで、「道園線彫板碑(豊後高田市香々地)」、「梅の木磨崖仏(豊後高田市夷)」には共に21連の連刻板碑があります。また山形県には、5連の「永仁二年磨崖板碑 (南陽市赤湯)」があります(ただしこれはデザイン的には2連+3連になっていて、銘文が5連に渡って刻まれている)。

清水磨崖仏群 16連板碑

連刻板碑が何連で構成されるかが、どのような理論に基づいていたのか分かりません。大分の21連の磨崖多連碑はどうやら21という数に意味がありそうですが、他はないように思われます(スペースの都合上で連結数を決めているような感じ)。下丁場摩崖仏も、右側の7連、左側の8連という2つの磨崖多連碑がありますが、その梵字(種子)の構成も決まったセットというわけではないようです。

また、左側の8連の連刻板碑には、梵字の下に謎の文字が刻まれています。一見、梵字に似ていますが梵字ではなく、かといって模様というわけでもない、謎の存在です。これには何らかの意味が託されているのでしょう。それにしても、独特な何かを「文字」で表現したところが、いかにも中世のタイポグラフィー仏塔としての板碑っぽさといえるでしょう。

七人山磨崖連碑

【参考文献】
『中世の板碑文化』播磨 定男
『石塔の民俗』土井 卓治

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