高田磨崖仏:デウス・オティオースス

高田磨崖仏 全景

高田磨崖仏は、南九州市高田にあります。(高田は「タカタ」と読む)

高田磨崖仏 大黒天

高田磨崖仏は、刻まれている内容が独特です。

観音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、毘沙門天、そして大黒天です。またこの他に、時代が異なる天照大神の立像もあります。

このラインナップはあまり脈絡がないように見えます。特に磨崖仏としては滅多に見られない大黒天の存在が謎です。

その謎を解くことはできませんが、たくさんの尊像が製作された背景を考えてみましょう。

日本の磨崖仏は、多くが密教の考え方に基づいてつくられました。密教の主尊は大日如来。別名「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」ともいい、奈良の大仏もこの仏です。大日如来は真理そのものが神格化されたもので、最高の存在として崇敬されました。

しかし密教では大日如来の他にも多種多様な仏を崇めました。曼荼羅というのは、そうした仏たち(仏、菩薩、明王、天など)の秩序や世界観を表現した図像ですが、大変たくさんの仏が大日如来を取り囲んでいます。密教では大日如来という最大にして最高の存在があったのに、なぜ同時にたくさんの仏も信仰されたのでしょうか。

それは、神仏の機能分化と関係があります。

人は神仏に様々な願いを託しました。戦勝、病気平癒、安産、除災招福、商売繁盛、極楽往生、呪詛といったものです。もちろん宇宙の真理そのものである大日如来にこうした願いをかけてもよかったのでしょうが、こうした現実の生活に即した願いには、それに適した神仏に願をかける方がより効果的だと考えられました。例えば病気平癒なら薬師如来、極楽往生なら阿弥陀如来といったようにです。特定の分野に専門化した仏の方が、確実に願いが聞き入れられると感じたのは自然なことです。

このようにして、人々の願いの数だけ仏が生みだされたと言っても大げさではありません。例えば「とげぬき地蔵」(東京都豊島区、高岩寺)、「眼の観音様」(京都府長岡京市、楊谷寺の柳谷観音)、「イボ取り地蔵」(全国各地)など、「ここの観音さまは特に○○に御利益がある」と、ある種の願いにさらに細分化していった場合も少なからずありました。大日如来にイボ取りをお願いしてもあまり聞き入れなさそうですから、やはりイボ取りは「イボ取り地蔵」に任せたいものです。

こうした次第でしたから、密教での最高の仏である大日如来には、庶民の卑近な願いが託された様子はありません。大日如来は密教では本来最も中心となる主尊であるにも関わらず、「真理そのもの」といった抽象的性格から、具体的な願いとは縁が遠くなり、人々の信仰から遠ざかったのです。

同様の現象は世界各地の宗教で生じています。世界を創造した至高神ではなく、そこから分掌された専門化した神々への信仰が中心となり、至高神に願うことはほとんどなくなる、という現象です。このように人々から閑却された至高神のことを、宗教学では「デウス・オティオースス(暇な神)」と言っています。大日如来は閑却まではされていませんが、「デウス・オティオースス」的な一面もあるようです。

それはさておき、高田磨崖仏を製作した人は様々な願いを抱え、それを同時に叶えようとしたのかもしれません。では大黒天に託された願いは何でしょうか? それは福神信仰かもしれませんし、食事の守護神として彫ったのかもしれません。また、高田磨崖仏の場合は明らかに違いますが、甲子待ち(きのえねまち)(※)の本尊として大黒天が彫られた場合もあります。

もしくは、いろいろな仏を刻んでおいてどのようなケースにも対応可能とした一種の曼荼羅だったのかもしれません。でもその場合、主尊の大日如来を彫るのをついつい閑却していたということになりますね。

※ 甲子待ち……甲子の日の夜に、子(ね)の刻まで夜更かしして大黒天を祭る行事。

★告知★12月5日、報告会やります!
↓
鹿児島磨崖仏巡礼vol.2
日時 2020年12月5日(土)17:00〜19:00
会場 レトロフトMuseo (〒892-0821 鹿児島市名山町2-1 レトロフト千歳ビル2F)
<鹿児島市電>朝日通り電停より徒歩2分
※会場には駐車場がありません。
↓詳細はこちら
http://nansatz.wp.xdomain.jp/archives/105

要申込:定員25名
参加料:1000円
申込方法:↓こちらのフォームより申し込み下さい。定員に達し次第受付を終了します。
https://forms.gle/FxmVbQMqEjahFQy89

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