倉野磨崖仏:オーンク

右端の丸の中にあるのがオーンク

倉野磨崖仏の中心は、世界にもここしかないと言われる「オーンク」という梵字です。これは一体何なのでしょうか? ちょっと専門的になりますが、この梵字を理解することは抽象美術・抽象思考としての梵字を考える上でも参考になりますから少しお付き合いください。

倉野磨崖仏の説明版では、これは「金剛界・胎蔵界両部不二の大日如来を表す文字として、密教の最高尊を表現しようとして工夫創作された」とされています。しかしこれだけで内容が理解できる人はほとんどいないので順を追って説明します。

まず、大日如来を表す種子は、金剛界・胎蔵界で異なり、それぞれ「バン(鑁)」「ア(阿)」です(金剛界・胎蔵界の説明は割愛します)。要は、大日如来を表す梵字は「バン」「ア」の二種類あるということです。

さらに、「バン」や「ア」は、より至高の存在であることを示すために変形され、「バーンク」「アーンク」と表現されることもあります。梵字は母音と子音を表す記号を組み合わせて作字されるのですが、具体的にどのような変形が施されているのかを、胎蔵界大日如来を表す「アーンク」を例に解説しましょう。

アーンクの解説

この梵字の一番上にある点は、「空点」あるいは「菩提点」といい、子音「ン(ṃ)」を追加する意味があります。ですから、「ア」に「空点」が追加されれば「アン(aṃ)」と発音する梵字になります。

次に「空点」の下にある半月形の記号は、「荘厳点(しょうごんてん)」といい、これは発音を変えない飾りです(なお、仏教では「荘厳」は美しく飾るという意味です)。

次に右肩にある半月形の記号は「修行点」といい、これは母音を長音化するという記号です。ですから、「ア」に「空点」「修行点」が追加されれば「アーン(āṃ)」と発音する梵字になります。

そして右側にある二つの点は「涅槃点」といい、子音「ク(ḥ)」(本来の発音は「ハ」に近いが、日本悉曇学では伝承的に「ク」と読んできた)を追加するという記号です。ですから、「ア」に「空点」「修行点」「涅槃点」が追加されれば「アーンク(āṃḥ)」と発音する梵字になります。

なお、「アーンク」の文字においては、「ア」に比べて下の部分がヒョロっと上を向いていますが、これは単なる装飾的な書き方(異体字)であって、発音は変えません。

このように「ア」に「空点」「修行点」「涅槃点」と「荘厳点」を加えることで、華麗な梵字「アーンク」が作字されます。なお、全ての梵字には理念的に「命点」と呼ばれる点があると考えられていることから、「アーンク」は「命点」「空点」「修行点」「涅槃点」「荘厳点」の五点を持っていることになり、「五点具足の大日如来」と呼ばれています。

なおこれまでの説明でも分かる通り、「アーンク」という音節に意味があるのではなく、「ア」に様々な点を加えて華麗に表現したのが「アーンク」という種子なのです。

金剛界大日如来を表す「バン」→「バーンク」の場合も同様であることは直ちに理解できると思います。

梵字の五点具足化

さて、倉野磨崖仏の「オーンク」は、「オン(唵)」という梵字に対してこのような変形を施すことで創作された文字なのです。それでは「オン」とは何を表す梵字なのでしょうか?

「オン」(本来の発音は「オーン」に近い)は、インド最古の古典『ヴェーダ』に由来し、「かくあるべし」の意味だったとされ、神を讃える間投詞だったようです。「オン」は宗教儀式や呪唱の始めに唱えられたため、次第に神聖視されるようになり、インドの古代哲学ウパニシャッドの頃になると、聖句として「オン」には様々な意味が付与されました。例えば、森羅万象全て、究極的存在、ブラフマン(宇宙の最高原理)、アートマン(個の根源)といったもので、これを唱えると梵我一如の境地に到達すると説かれています。

こうした聖句としての「オン」は仏教(特に密教)にも受け継がれ、真言の最初に唱える定型句となりました。さらにはウパニシャッドの考えが仏教的に再解釈され、「オン」は大日如来の真身、一切の陀羅尼の母、一切の如来と法門を生ずる根源であるとされました。「オン」は始原的な最高の存在とされたのです。

とはいえ、聖句としての「オン」は真言に残されたものの、密教全体を概観してみると決してウパニシャッドの頃のように重視されたとはいえません。密教では宇宙の最高原理は毘盧遮那仏(大日如来)であるとし、ブラフマンのような抽象的な存在というよりは、偉大な仏としての具象的な姿によって表現されました。密教は思弁的というより、儀式や数々の仏具や呪(真言・陀羅尼)を使って行う即物的な性格が強かったことを考えると、聖句「オン」は密教徒が崇めるにはあまりにも抽象的過ぎたのかもしれません。

しかし倉野磨崖仏の製作者は、超越的な最高原理を表すため、敢えてこの「オン」を使い、さらに至尊表現として「オーンク」字を創作したと考えられます。説明版では「金剛界・胎蔵界両部不二の大日如来」としていますが、それよりももっと抽象的な宇宙の最高原理を表現していると考えてもあながち間違いではないでしょう。

鎌倉時代の鹿児島で、中央でもほとんど閑却されていた「オン」によって宇宙の最高原理といった抽象的かつ高遠なものを表現しえたことは注目してよいことです。しかも既存の梵字をそのまま写すのではなく、至尊の存在として独自の梵字を生みだしたことは高度な梵字理解を窺わせます。

しかし、そうした高い評価の裏側で、やはり日本悉曇学の限界も指摘しなければなりません。「ア」や「バン」は元来がそれだけでは意味のない梵字で、それを日本人が恣意的に大日如来に対応させ種子にしたものですから、それを「アーンク」「バーンク」と変形しても一種の記号ですから何の問題もありません。ところが「オン」はそれ自体が不変であるべき聖句でした。であったにも関わらず、それを勝手に「オーンク」に改変してしまったことは、「オン」の聖性を無意味化する行為であったと考えられるのです。

日本語にも「言霊」という考え方がありますが、例えば「神」の枕詞「ちはやぶる」を、より立派にするためということで「ちはやーぶるく」などと改変したらどうなるでしょうか? 「ちはやぶる」は明確に語義を持った言葉ではないにしろ、せっかくの枕詞が台無しになったと感じるのが普通の感覚でしょう。「オン」を「オーンク」に改変したのは、そういう行為でした。しかし当時の人は、悉曇学を語学ではなく、単なる記号の組み合わせ術としか認識していなかったのでそれがわからなかったのです。

【参考文献】
田久保周譽、金山正好(補筆)『梵字悉曇』
川勝政太朗『梵字講話』 斎藤彦松「日本に於ける唵(OM)字信仰の研究」

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です